はじめまして。
さくらこです。
健康オタクの40代、シンママです。
食べることが大好きです。
食べものや、日々自分が使うものの質や中身、それらが作られた背景など、詳しく調べることが好きです。
「体は食べたものでつくられる。心は聞いた言葉でつくられる。未来は話した言葉でつくられる。」
自己紹介
私、さくらこの自己紹介をします。
- 名前 さくらこ
- 年齢 40代
- 出身地 福岡県
- 家族構成 さくらこ、娘、チワワ
- 趣味 ひとりでのんびりすること
離婚当初
娘が5ヶ月の時に離婚しました。
紆余曲折ありながらも、何とか女手ひとつで育ててきました。
離婚当初は、すぐに引っ越しをしなければならなかったので、物件をあまり見る余裕もお金もなく、
2DKのボロアパートに住んでいました。
この頃は、かなり質素な生活をしていました。
アパートは、一人暮らし用で、キッチンのコンロは1口、ユニットバスでした。
ベランダが狭すぎて洗濯物が干せず、いつも室内干し。
海辺の北向きのアパートだったので、湿気が酷くて…
そして、3階建てアパートで、上の階も下の階も一人暮らしの男性ばかりが住んでいるようでした。
なぜか、一度も女性の住人に会ったことはありませんでしたので…
そして、古いアパートだったので、見たこともないような様々な虫が、家の至る所に出現して、
よくパニックになっていました(泣)
トイレの天井の換気口から虫がポトポト落ちてきているのを見て、恐怖を感じ、
このままではダメだー!と引っ越しを決意しました。
派遣社員
この頃は、派遣社員でした。時給なので、もちろん安月給です。
朝8時から保育園に娘を預けて、18時頃にお迎えに行く生活をしていました。
働いても働いても、暮らしは楽にならず、といった感じでした。
派遣の仕事は、新入社員が入社するからと1年で契約終了になってしまいました。ホント、使い捨てですね〜。
でも、辞めたかったのでホッとしました。
引っ越し+転職
金銭的に苦しかったものの、引っ越ししないと鬱になりそうだったので、引っ越しを決めました。
費用は、市から福祉資金貸付金として借りて、何とか1LDKのマンションに引っ越しすることができました。
狭かったけれど、ボロアパートに虫と共に住んでいたことを思い出すと天国のようでした。
就職活動の方ですが、なかなかよい求人が見つからず。
細々とアルバイトをしながら、職を探していました。そして、ついにこれだ!という職を見つけたのです。
もともと若い頃に実務経験があった仕事だったので、面接まで行くかも?と淡い期待を抱いていました。
すると、すぐに面接に来てほしいとの連絡が!
面接はとにかく笑顔で、これでもかと笑顔で。
面接中は、だって私、ここ受からないとまずいのよー、他にいい求人ないのよー、お願いよー、採用して!と心の中で思っていました。
そして、悲痛な願いが通じたのか?採用の連絡をいただきました!
無事に転職 しかし…
無事に転職しましたが、不穏な噂を聞くこととなりました。
どうも私のポジション、次々に人が辞めていく、いわくつきだったのです…。
最短で2日で辞めた人がいるとか…。
今までかなりの人数が入社したようですが、みんな1ヶ月も経たずに辞めていくんだそうです。
その原因がすぐにわかりました。
一緒に仕事をする男性が、すぐにキレる方だったんですね。
いつも何かにキレてます。カンニング竹○さんの芸風みたいな感じです。
どこに地雷があるかわかりません。
いつでもどこでも、ドカンドカンと爆発するので手の施し用がなく、他の社員は自分に火の粉がかからないように知らん顔か、怒られないように、ごますり対応していました。
しかしこの方、上司には人が変わったようにニコニコ好対応。
こんなに常に1日中怒っている人を、今まで見たことも、出会ったこともなかったので、仕事よりもこの怒り親父の対応に追われる日々でした。
少し関わるだけでも体力の消耗が激しいのに仕事上、常に関わらないといけないのです。
仕事が終わると電池が切れたように動けなくなっていました。
でも、子供のお世話をしないといけないし。
お金ないと生活できないし。
何とか自分の体に鞭を打って動いていた感じです。
メンタルやられて体調不良
そんなこんなで、メンタルが相当やられました。
ある日の夜、39℃近く熱が出ました。
でも、翌朝には微熱になっていたので、そのまま出勤しました。
仕事中もずっと微熱があり、体がだるいしきついし、怒り親父は相変わらず怒り狂っているし。
この頃は、毎日朦朧としていました。
ナゾの微熱
夜に39℃近く熱が出て、朝になれば微熱。
こんな症状が1ヶ月近く続きました。
昼は、微熱のせいで朦朧としていて、少し動くのもきつい。
仕事と怒り親父の相手をするのが精一杯で、夜に子供の世話をどうやってしていたのか記憶がありません。
休みの日は、体が動かず寝ているだけだったので、子供に申し訳ないなと思っていました。
病院受診後、即入院へ
ただの風邪だと思っていたのですが、さすがにこんなに熱が続くのは変だ、病院に行って診てもらった方がいいなと思い、病院を受診することにしました。
血液検査やレントゲンなどいろんな検査をして、結果、肺炎でした。
風邪を拗らせて、肺炎になったのでした。
ストレスMAXの職場と当時2歳の子供のお世話で、疲れているのに眠れない日々が続いていたんです。
心労と疲労が重なってしまったみたいです。
CPR?だったかな、数値が異常に高いとのことで、即入院となりました。
状態が悪いので病院を出ないでこのまま入院してください、と言われて、荷物も取りに行けずに子供を保育園に迎えに行くこともできず、すべて全部実家の親に頼みました。
この時は、ほんとに実家の有り難さを痛感しました。
2週間の入院生活
最初の3、4日は、ほぼ寝たきり状態でしたが、薬、点滴で1週間ほどで随分体調が良くなってきました。
そして幸いにも、2週間の入院生活で退院できました。
2週間でしたが、子供のことがずっと気がかりで。よくトイレに行って実家に電話をしていました。
自分の環境を見つめ直す
シンママが入院すると本当に大変です。
実家が近くだったので幸いでしたが、この時、絶対病気になっては行けない!と強く思いました。
メンタルが弱っていると、ダイレクトに体に影響が出てくるということを体験して、このままこの仕事を続けていたらまた何かの病気になってしまうと思い、退職を決めました。
入社しても最短2日、長くても1ヶ月でみんな辞めてしまうという、いわくつきの職場環境。
そんなところに、なんと2年いたんです。
子供の発熱時など、すぐにお迎えに行けるというところだけはよかったんですが。
ひとりで子育てしているから、なかなか条件に合う職場探しって難しいのです。
退職を決めてからは、次の仕事を探さなくてはいけません。
生活がかかっているから、もう必死です。
職種や仕事内容にこだわらず、派遣や契約社員などもこだわらず、片っ端から求人に申し込みましたが、
年齢的なことや子供が小さいことなど、条件が良くない私には、面接すらお声がかかりませんでした。
毎日求人を見ては、暗い気持ちになっていました。
そんな時、父に、
「焦りすぎが伝わってるんじゃないか、しがみついていたら何も見えなくなるから、まずは落ち着いて自分を見つめ直してみなさい。」
と言われ、仕事のことを考えるのを少しやめてみました。
すると、以前から副業でやってみたいなと思っていた仕事があったことを思い出し、この仕事ができないかなと
思い、求人を探してみました。
しかし、レアな仕事なので全くありませんでした。
だったら自分でやってみよう。と起業しました
求人がないのなら、自分でやってみよう!と急に思い立ち、この仕事をしている人のホームページやブログを片っ端から見て、どうやって始めたのかとか、初期費用はいくらかかるのか、とか調べまくりました。
もう、見様見真似です。
後先考えずに始めたので、とにかく突っ走りました。
正直、うまくいくのかどうか不安だらけでした。
でも、やってみないとわからないし、やって後悔するよりも、やらないで後悔する方が何倍も大きいって、
よく言いますよね。
ここが踏ん張り時とばかりに必死でした。
初めたばかりの時は、生活できるほどの収入はありませんでしたが、今現在はこの仕事の収入で生活できるようになりました。ほんとに有り難いです!
以前よりも広く快適な部屋に引っ越しもしました。
そして、子供との時間を充分に確保することができ、ストレスフリーな生活を送らせていただいています。
もう感謝しかありません。
からだにいい。ブログでお伝えすること
ずっと健康で、病気らしい病気はしたことがなかった私。
大病ではありませんでしたが、入院を経験して、体が動かず、好きなものも食べれず、行きたいところに行けず、
とにかく何もできない、という辛さを味わって健康の大切さに改めて気がつきました。
健康は、健康な時には気が付かないけれど、失ってからそのありがたみがよくわかるものです。
そして私は、健康を維持するために、いいと聞けば何でも試してみる健康オタクになりました。
からだにいいものについての話は得意です。もう趣味の領域です。
現在、健康オタク歴、更新中です!
健康を維持するための食べ物、メンタルを整えるための暮らし、今まで私が試して健康によかったこと、実体験を通しての役立った健康情報などをこのブログに書いていきます。
このブログを読んで、少しでも皆さんの健康にお役に立てればいいなと思っています。